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スペシャルオリンピックス—–知的障がい者のスポーツ

10月下旬に実施した「北京訪問プライベートツアー」は、予想よりも収穫が大きく、いつものツアーの楽しさに負けない、本当に楽しかったです。北京を見たこと、感じたことをブログで伝えようと思っていましたが、ズルズルと一か月も過ぎてしまいました。

北京報告をする前に、先に「スペシャルオリンピックス」のことを書きたいと思っている今頃です。

「スペシャルオリンピックス」と言うと、「パラリンピック」?と、日本でよく間違えられます。福祉関係者ですら知らない方が多いです。その知名度の低さには、日本「スペシャルオリンピックス」の関係者の皆さんはいつも嘆きます。

1968年、故ケネディ大統領の妹ユニス・シュライバーは、当時スポーツを楽しむ機会が少なかった知的障害のある人たちにスポーツを通じ社会参加を応援する「スペシャルオリンピックス」を設立しました。アメリカに本部があり、46年たった今日、全世界に活動が広まっています。日本は94年、細川元首相の夫人佳代子さんが「スペシャルオリンピックス日本」を、国際本部より認証を受け熊本市で発足しました。現在は元女子マラソン選手の有森裕子さんが理事長を務めています。

2005年2月第8回冬季世界大会が長野で開催され、84の国と地域から1,829人のアスリートが参加。その2年後2007年の夏に、上海で夏季世界大会が開催されました。その関係で日本と中国のスペシャルオリンピックス(以下省略SO)の交流やサポートなどの仕事に関わってきました。中国SOの本格的な活動は、2007年の上海世界大会を契機としています。それまで知的障害者に対する世間の理解は少なく、本人も親もひっそりと生活し社会には姿を見せないとする雰囲気がありました。通う学校も普通の子供たちが通う学校ではなく、「特殊学校」という知的障がい者の専門学校です。日本の公立学校では、身体障がい者も知的障がい者も同じように通っていることは、中国のSO関係者が来日視察交流の時、びっくりされました。

2007年の上海夏季大会は、SOの歴史上にこれまでなかった規模と演出で開催され、国の威信をかけたイベントとなりました。特に開幕式は世界一流の演出家を招いて監督したもので、世界から著名人も沢山出席しました。その半端じゃないスケールの大きさには多くの人が圧倒され、翌年の北京オリンピック開幕式がその一部を真似したと言われているほどです。当時の上海の街は至る所でSO一色となり、タクシーの運転手が、全員SO特製のオレンジ色のTシャツを着ていました。新聞テレビもSOの競技などの報道ばかりでした。SOはついに誰にでも知られるようになりました。今では、中国特に上海では、SOを90%の人が知っているに対して、日本での知名度はわずか10%未満との統計です。

日本での知名度は低いようですが、日本SO活動はとても緻密で、素晴らしいです。アスリートたちにスポーツトレーニングの機会を提供するだけではなく、彼らのさまざまな能力を高めることを目的としたアスリート・リーダーシップ・プログラムを日常的に行っています。10月31日の夜、「スペシャルオリンピックス日本」設立20周年の祝典式が東京で行われ、SO国際本部会長のティモシー氏、従姉で現アメリカ駐日大使のキャロライン・ケネディ氏ともに出席されました。そして、元サッカー選手中田英寿さんがSOのイメージ大使と任命されました。

 

(駐日大使のキャロライン・ケネディさんなど、上海からのSO関係者らとの記念写真)

駐日大使のキャロライン・ケネディ女史など、上海からSO関係者らとの記念写真IMG_4775[1]

 

(有森さんと7年ぶりの再会)

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一方、中国は2007年の上海夏季世界大会をきっかけで、知的障がい者が社会全体から注目されるようになりました。ある上海のSO関係者が日本の小学校の運動会競技「二人三脚」をヒントに、11月18日に上海の障碍者リハビリセンターで盛大に、イベントを行われました。夜は、チャリティーコンサートを開催され、知的障がい者のピアノ演奏がテレビ中継を通じて、多くの視聴者に感動を与えました。

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SO活動については、日本より後発の中国ですが、国の力により猛スピードで追いつき、国際的な評価を受けるまでに発展させています。

 

(以上内容の一部は、「高齢者住宅新聞」 (コーディネートが見た中国の福祉)11月連載済み」

 

 

 


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